盲目の芸術家・埼玉の持田健史さん、記憶を形に 被爆後の広島が原点

 盲目の芸術家・埼玉の持田健史さん、記憶を形に 被爆後の広島が原点紙粘土で形作られたさまざまな表情、無数の手や口…。造形作家の持田健史さん(71)=埼玉県草加市=は30代から徐々に両目の視力を失い、今は光もほぼ感じられない。昭和21年3月、原爆投下から半年余りの広島市で生まれ、混沌とした町の風景が作風の原点だ。盲目だからこそできる芸術を目指し、記憶を呼び起こしながら作り続け、今年1月には広島市で個展を開いた。

 広島県内の高校を卒業後、上京し、武蔵野美術大でグラフィックデザインを学んだ。広告デザイナーとして就職し、38歳のとき視神経が萎縮する病気を発症。医師に「将来は失明する」と宣告された。51歳で仕事を続けられなくなり、退社した。

 その後、孫娘に紙粘土で指にはめる人形を作ったのをきっかけに、造形に目覚めた。

 「喜怒哀楽の感情は目に見えない。盲目の自分が表現したらどうなるか」。顔や体のパーツを形作り、無数に並べた。

 爆心地近くで過ごした幼少期。焦土と化した町にはバラックが立ち並び、たびたび起きた火災が花火のようにも見えた。

 「興奮とも恐怖とも言えない不思議な感覚。作品を通して、その感覚を形にしたい」と語る。

 失った視覚を補うため、記憶と触覚を総動員してイメージを形にする。色づけはパートナーと協力し、頭の中と実物のギャップを埋めていく。

 それでも思い通りかどうかは分からない。「鑑賞者の反応を聞いて初めて、自分の中で作品が完成する」。広島市での個展でも、来場者と積極的にコミュニケーションを取った。

 「人間の感覚は素晴らしい。まだまだ新しい物を作りたい」と力強く語る持田さん。触覚はより鋭敏になってきている。